80代女性(消化器癌)の息子様
紅茶の香りに満たされたカフェにて、ご利用者様のお声を伺いました。
母は高齢者施設に入所していましたが、病状が悪化し病院に入院となりました。
施設では「閉じ込められているから助けて」と混乱した様子で電話してくることが度々ありましたが、入院してからはそんな電話をかける元気もなくなってしまいました。
コロナ禍で家族と会うことも出来ず、母は孤独を感じていたのだと思います。
母が弱っていくのをひしひしと感じながらも、面会制限が厳しく側で励ますことはできませんでした。母の心細さ、寂しさを考えると、本当に切なくて。
残された命が長くないことが分かった時、「せめて最期は孤独でないところで過ごさせてあげたい」と強く思いました。限りある時間なら一緒に過ごせる場所を探そう。それがゆいの希に出会うきっかけになりました。
ゆいの希ではコロナウイルスのPCR検査を定期的に受けることで、感染対策をしっかりしながら安心して家族一緒に過ごすことができます。
さらに珍しいと思うのは、付き添う家族を支えるための設備やサービスがあるということ。入居者だけでなく家族にも食事を作ってもらえ、お風呂や寝る場所も準備されています。私は他府県に暮らしているので、母に寄り添うために近くにホテルを借りたりする必要がなくありがたかったです。
私の場合、兄と二人で母の面倒を見てきましたが、二人とも遠方に住んでおり仕事もしているので、ずっと付き添うわけにはいかず、呼ばれてもすぐに飛んで行ける環境ではありませんでした。この点については、幸いなことに母と長年親しかったご近所の方が親身になって応援して下さいました。息子の代わりに母に会いに行ってくれ、状態を頻繁に報告して下さったのが私たちにとって大きな支えとなりました。
血のつながりがあってもなくても、支えたい人みんなでサポートする。そんな「昔は当たり前に出来たけど今はなかなか出来ない」ことが出来たのはゆいの希のおかげだと思っています。
母の衰弱は予想以上に速く、家族はその変化を受け止め対応していかなければなりませんでした。
痰がとても多く、いくら吸引してもすぐに湧いてくるので、いつ窒息してもおかしくないような状態が続きました。
状態が悪化していく母の側にいるのは辛かったですが、見守っていてくれるスタッフの方達にはいつも親身になって励まして頂きました。
看護師さんが付き添う私の体調を心配してくれたり、カフェの方がそっと紅茶を出してくれたり。皆が応援団でいてくれる。そんな安心感がありました。
母の手を握ったり身体をさすったり。そんな「ささやかだけれど大切なこと」が存分に出来たのは、スタッフの方々がいつも支えてくれたからだと思います。
これが自宅だったら、精神的にもっと余裕がなかったことでしょう。ゆいの希で最期を過ごしたことで、体だけではなく、気持ちも母の側にいられた気がしました。
仕事を休むと職場に迷惑がかかるので心苦しかったのですが、最期は母の側にいようと決めていましたので、意識が朦朧としてきてから亡くなるまで約10日間は兄と協力しあいながら付き添いました。
夜中に様子を見に来てくれた看護師さんが、「息子さんにはもうハグしてもらった?」と母に聞いたことがあります。その時、「まだ」と母が答えました。もうほとんど話せない状態だったのに、その言葉はすごくはっきり聞き取れたのでびっくりしました。
ハグするのは子供の時以来でしたが、思いきって兄と交代で母を抱きしめました。そしたらもう寝たきりで力も全然なかったのにちゃんと腕を回して抱きしめ返してくれたのです。その時の母の顔は本当に嬉しそうで。
しんどい状態だったのに、しっかり返事をして意思表示してくれたこと。私達のハグを喜んで受けとめてくれたこと。
本当に奇跡の様な出来事で、一生忘れないと思います。
「私のことはいいから、自分の好きなことをしなさい」
母はいつもそう言って、私たち息子が自分の思う場所でやりたい仕事をするのを応援してくれていました。家族の幸せが自分の幸せだと思うような人でした。
そんな母の応援もあって私は遠方で暮らしていましたが、母の死が実感される様になると、最後までこのままではいけない、という感覚が芽生えました。
母と一緒にいられるのは、今日で最後かもしれない。
今大切にしておかないと、きっと後悔する。
これまでずっと私を応援してくれた母を、今度は私が応援したい。
最後の日々はその一心でした。
大変でしたが、今振り返るとあの時がんばって本当に良かったと思います。
母から最後の最後に教えてもらったことがあるとすれば、それは「人生に限りがあることの意味」かもしれません。
どの人生にも限りがあり、どの人との関係にも必ず終わりがくるのだから。
「今」というかけがえのない時間を大切にしたい。
大切な人のことは今のうちに大切にしておきたい。
自分の人生を大切にし、意味のあるものにするためにも、自分のためだけでなく社会のため母のためにきちんと生きていきたい。
心の底からそう実感する様になったのは、ゆいの希での濃密な時間があったからだと思います。
今でも母を思い出してふと涙が出ることはありますが、どうしようもない後悔というのはありません。
「親だから最後まで面倒を見なければ」という義務感ではなく、「大切な人だから最後まで応援したい」という真摯な気持ちで看取ってあげられたことで、母の死に対する一種の納得感が得られたのだと思います。
私たち息子だけでなく、母のご友人の方々にも家族の一員としてサポートしていただいたので、ゆいの希では「皆で支え合うことの大切さ」を改めて感じました。
立場や年齢、性格、生きてきた環境は皆それぞれ違っても。
「支えたい」気持ちが同じなら支え合えるのだと気づきました。
ゆいの希で「大切な人の死」という一大事に皆で正面から向き合えたことで、
普段の生活の中で芽生えた些細なこだわりとか、執着とか、これまでくっついていたいろんなものを振り落として、純粋に「家族であること」を確認できたような実感がありました。
兄と今まで以上に助け合って生きたいと思う様になりましたし、他の人たちとの絆も深くなった気がしています。
当時は必死すぎて気づかなかったけれど、
今になって思えば、ゆいの希で過ごした時は母からのプレゼントだったのかもしれません。